堀川国広の作刀「豊田安宗」所持銘について

堀川国広の作刀「豊田安宗」所持銘について

はじめに

堀川国広の刀に、以下のような作刀がある。

日州古屋住國広作
刀 銘 天正十四年八月朔日
豊田安宗刀
長さ 二尺0寸七分 反り 六分
(造りこみ)鎬造、庵棟、身幅やや広く、反り深く、先反りつき、中鋒。
(鍛)板目に杢・流れ肌交じり、地沸厚くつき、処々むらとなり、地景入る。
(刃文)互の目乱れに角がかった刃・尖り刃・矢筈刃の刃・小互の目など多種の刃が入り交じり、小足・葉入り、匂口しまりごころに沸つき、処々荒めの沸交じってむらとなり、砂流しかかり、僅かに飛焼を交え、棟を焼き、匂口明るい。
(帽子)焼深く、表は一枚風、裏は乱れ込んで先尖りごころとなり、共に沸くずれて掃きかける。
(彫物)表は棒樋を丸留にし、その下鎬筋を中心に真の倶利伽羅、裏は二筋樋を丸留にし、その下に梵字二字と蓮台を重ね彫にする。

永らく、所持者銘「豊田安宗」如何なる人物かが不明のままであったが、この度資料調査結果について誌上にてご紹介させていただく。

堀川国広の所持者銘

堀川国広の作刀にはしばしば所持者銘が添えられたものがある。
例えば代表的な作刀には重要文化財指定の天正十二年紀作「太刀主日向國住飯田新七良藤原祐安」と所持銘がある。銘文からも理解できるようにこの人物は日向伊東家の同族である。
其処で、上記に掲載した天正十四年紀作「豊田安宗刀」、「何某刀」と銘する特徴的な所持者銘の切り方をしている。このように切る刀が「藤原兼治刀」、「藤原兼之刀」と天正十四年には3口遺例がある。「堀川国広とその一門展」図録の中で岩田隆氏が天正打(日州打)の作例中、最も作品が多く現存し、また重厚・緻密な彫物を施した作が多いのが天正十四年紀と述べられている。本作にも重厚・緻密な倶利伽羅の彫物、天正十四年八月朔日の年紀がある。「朔日」は第一日のことであるが、天正十四年に初めて使用している。

豊田安宗とは

本作に記されている「豊田安宗」は、戦国期の武将。石見国益田氏の第二十代当主で石見七尾城主益田元祥の家臣で、毛利家文庫(諸家)「益田那衛系譜」に記載されている人物である。現在、島根県益田市ある丸山八幡宮には豊田安宗が社殿を再築した時には植えた「丸山の樫」と名称された樫の木が現存する。豊田家の出自は南家藤原氏の工藤祐経に始まり、遠江国城飼内田庄(掛川市・菊川町の一部)を領したことから「内田」を称するに至った。その後承久の変における功績によって貞応元年、石見国長野庄内内田郷・周布郷内貞松の地頭となり、同国豊田城を拠点にしたことから「豊田」と改める。戦国期になると内田氏は同国豪族益田氏との結びつきを強めていく。祖父内田宗勝は益田兼順を妻とし、その子父尊致も益田貞兼の子である神護院主徳祐女を迎えている。また豊田安宗も益田藤兼を娶り、以降「益田」を称して、主益田家家臣中の重鎮となっている。
毛利家文庫(諸家)「益田那衛系譜」によれば、豊田安宗は式部少輔であったことが判る。式部少輔とは礼式および文官の人事全般をつかさどる式部省に置かれた従五位下の官位役職である。豊田安宗と堀川国広の主君日向伊東氏は出自が同様、南家藤原氏の工藤祐経でその子伊東祐時が、鎌倉幕府から日向の地頭職を与えられたのが始まりである。そのため、日向伊東氏と石見国とは深い繋がりがあり、日州時代から豊田安宗は堀川国広と何等かの交流があったものと推測出来る。

天正十四年紀作からの考察

天正十四年は豊臣秀吉が天下統一のため九州征伐が起こっています。豊田安宗もこの九州征伐に毛利軍に従属し参戦、主君益田元祥と共に豊前宇留津城攻撃で功績をあげたことが記されている石見内田家文書「永田秘録」巻六十四「工藤号内田後称益田」という資料が現存する。そこには主君益田元祥が豊田安宗に送った書状がある。注目する点として、書状にある「去月七日宇留津被切崩候節」とある。日付が天正十四年十二月なので豊前宇留津城を切り崩したのが天正十四年十一月となる。この日付は「豊田安宗刀」とある本作「天正十四年八月朔日」の三カ月後である。「藤原兼治刀」、「藤原兼之刀」についても同様である。「藤原兼治刀」、「藤原兼之刀」について詳細は分かっていないが主君益田氏は本姓藤原氏を名乗ること、同族の名前に「兼」の字を使う者が多いことから主君益田氏の近親者であった可能性が考えられる。想像を逞しくすれば、九州征伐という命運を賭けた大戦に挑む強い決意から特別に堀川国広に注文し「何某刀」と自身の名を刻み、信仰心から重厚・緻密な彫物を施したと考えられる。日州の一刀工としてだけではなく、何か特別な存在として堀川国広に作刀を依頼したのではないだろうか。因って、天正十四年は天正打(日州打)の作例中、最も作品が多く現存すると推量出来る。

まとめ

今回の考察を通し、現存作が比較的多い堀川国広であるが、これまで所持者銘についてはあまり研究されてこなかった故、こうした当時の有力者達との関わりが解明されないままであった。堀川国広は日州時代からこれだけ影響力があったにもかかわらず今なお謎が多く空想論が数多く存在する。刀匠堀川国広としての研究に重点を置きすぎた結果、間違った国広論が生まれてしまった。現時点で資料を示して明らかに出来る天正十四年紀作所持銘については以上がすべてであるが未だ自らの研究が多く残されていると感じ入った。今後の研究のさらなる進展を待ちたい。

参考文献

毛利家文庫(諸家)「益田那衛系譜」毛利家文庫(諸家)山口県文書館蔵
石見内田家文書「永田秘録」巻六十四「工藤号内田後称益田」 山口県文書館蔵
右田毛利家文書 山口県文書館蔵
石見内田家文書について  国守 進著
「石州益田家系図 柿本朝臣」鈴木真年蔵『諸氏家牒 皇孫 上』所収、東大史料編纂 所蔵
豊臣政権下毛利氏領国時代の石見国絵図-その内容と作成目的-川村博忠著
「堀川国広とその一門展」図録 岩田隆著 丸英美術刀剣店発行
「国広大鑑」公益財団法人 日本美術刀剣保存協会
「堀川国広とその弟子」伊勢寅彦著
「日本刀大鑑」(新刀編)大塚工藝社
「昭和大名刀図譜」(坤)公益財団法人 日本美術刀剣保存協会




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