長曽袮虎徹

長曽袮虎徹

長曽祢虎徹は元来越前の甲冑師、五十歳前後に江戸へ出府。鍛刀の師を和泉守兼重とする説もあるが、確定的ではない。初銘を古鉄、次いで虎徹と切り、「虎」の字の一画を大きく上へはね上げているところからこれを「はね虎」といい、寛文四年八月に作風が従来ののたれに互の目交じりの関風の刃から独特な数珠刃に変わった時から虎徹と切り、これは「はことら」と称する。

虎徹は地刃が極めて明るく冴える点に特色とよさがあり、加えて瓢箪刃、数珠刃、虎徹帽子を焼き、多くは直出しがあり、地がねには、てこがねのあらわれるものがある等、虎徹独特のものがある。造込では、江戸時代にはおよそ切刃造りが極めて稀であるのに、虎徹には五口もある。彫物では武神である大黒天の彫がある。この彫や切刃造り等、時代にとらわれず、時代にとらわれず、多分に武張った感がある。

長曽袮虎徹の特徴は、刀は形状が寛文新刀体配で幅広く、元幅に比べて先狭まり、中鋒つまるものが典型的な姿で、中には中鋒延びごころのものもある。反りは概して浅く、中には反りが極めて浅く棒状のものがある。

脇指は鎬造り、庵棟、中鋒、特に幅広のものがよくあって、中鋒延びるもの、大鋒がある。平造りは少なく、短刀や寸が延びて脇指となったものもある。幅広く、三つ棟、庵棟、寸延びて浅く反る。三ツ棟は鎬造りの刀や脇指には少なく、平造りのものに多い。

冠落造りは稀で、鎬造りの脇指、平造りの脇指にある。切刃造りは刀に1口、脇指に4口あって、いずれも指表が切刃造り、指表は鎬造りとなっており、加えて切刃造りには必ず彫物がある。晩年には薙刀も見る。

鍛えは、小板目よくつみ、地沸厚くつき、概して地景よく入り、明るく冴える。稀に小板目柾がかる。よくつんだ肌に交じって荒びた、いわゆる”てこがね”のあらわれたのがあり、これを虎徹の最大の特徴とする。これはハバキ元と物打あたりに出るが、ハバキ元にある場合が多い。

短刀では稀に、地景風に太く黒い変わりがねがどろりと交じったものがある。鎬地は細やか柾となる。刃文は、初期作は美濃風ののたれに互の目交じり、特に大きな互の目と小さな互の目が合わさって、丁度、瓢箪を二つに割ったような、いわゆる瓢箪刃の交じるものがある。

稀に砂流しかかり、金筋入る。寛文四年八月からは数珠刃焼き、ほかに小のたれに互の目交じり、砂流しかかるものは少ない。虎徹の足は太く入るものが多い。全時代を通じて、概して短い直ぐ焼き出しがある。稀に匂口締まりごころの直刃があり、この場合には柾がかった肌も見る。

匂深く小沸つき、明るく冴える。帽子は、横手上で焼きが狭くなり、直ぐに先小丸の、いわゆる”虎徹帽子”浅く返るもの、稀にやや深く返るもの、浅くのたれごころのもの、乱れ込むもの、稀に崩れるもの、直刃では焼きつめごころのものがある。

彫物は、棒樋、腰樋、添樋、二筋樋、護摩箸、重ね彫がままあり、梵字、素剣、三鈷剣、真倶利伽羅、草倶利伽羅、不動明王、大黒天などがある。

「同作彫之」か同義の添銘をする。茎は、最初期作は先片削ぎ、次いで丸味を持ち栗尻風の深い入山形で大筋違、筋違鑢を切り、万治四年から寛文二年頃までが最も多い。はこ虎銘からは栗尻、幅広の脇指では先張りごころに栗尻、目釘孔にははね虎銘の頃から稀に化粧孔がある。

銘は、細鏨で筋違を中心として「長曽祢興里」「長曽祢興里作」「長曽祢奥里虎徹入道」「長曽祢虎徹入道興里」「長曽祢興里入道虎徹」等々長銘に切り、最初期は「古鉄入道」、次いで「長曽祢奥里」やはね虎に切り、「興」の字を「奥」のように切る。

寛文四年八月月からははこ虎銘に改め、「興」の字も正しく切る。はこ虎銘でも「長曽祢興里」五字銘があるが、奥里銘に断然多い。稀の「真鍛作」と切り添えたものや年紀があり、金象嵌裁断銘は多い。斬手としては、山野加衛門永久が初期作では比較的に少なく、多くは山野勘十郎久英である。

主な作品:刀 銘 長曽袮興里入道虎徹 徳川頼宣所用 重要文化財 紀州東照宮所蔵、刀 銘 長曽袮興里入道虎徹 重要文化財 刀剣博物館蔵、刀 銘 住東叡山忍岡辺長曾禰虎入道 寛文拾一年二月吉祥日 重要文化財 森記念秋水美術館所蔵

(押形:刀 銘 長曽袮興里入道虎徹 重要文化財 名品刀絵図聚成 田野邉道宏著書より転載)
(参考文献:名品刀絵図聚成 田野邉道宏著書・古刀新刀刀工作風事典 深江泰正著書・重要刀剣図譜より転載・引用・抜粋)




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