埋忠明寿

埋忠明寿

埋忠明寿は通称を彦次郎、のち入道して鶴峯明寿という。初銘を亀吉、宗吉といい、年紀がないが、一口現存する。寛文八年五月十八日没。埋忠家は天正頃に興って、元来は鐔、ハバキ、刀剣の磨上げ、象嵌等々に係る刀剣工房である。

埋忠明寿銘の作刀は慶長三年からあり、それ以前の埋忠系の作刀は短刀・槍があり、ほとんどが「城州埋忠作」、裏には年紀を彫銘で施している。埋忠明寿作風の特徴は、形状が刀は有銘確実なのは一口のみ、南北朝期の大太刀の大磨上げの姿につくり、身幅広く、先幅もあり、中鋒延びるもの、大鋒もあり、相違する点は重ねが厚くなる。

鎬造り、庵棟、短刀・脇指共にほとんどが切刃造りで表切刃、裏平造り、寸法の割には身幅が非常に広いものが多く、三ツ棟、庵棟、浅く反る。短刀に僅かに平造りがある。剣は一口のみで両鎬造り、身幅やや広め、横手がある。鍛えは、板目つみ、やや肌立ちごころ、地沸つき比較的綺麗なかねとなる。

刃文は、小のたれに互の目交じり、処々足入り、小沸つき、砂流しかかるものとかからないもとがある。帽子は、のたれ込み深く返るものがある。彫物は、すべてに上手な彫物がある。裏表に上下龍を彫ったものが多く、櫃中梵字、不動明王の浮彫、梵字、素剣等。茎は、切刃造りの場合は切刃の鎬の線が茎の途中で両方へ流れて消える。先入山形、鑢目切、棟寄りに長銘、年紀があり、何々重代と添銘、年齢を切ったものがよくあり、稀に花押を切ったものもある。

主な作品:重要文化財 太刀 銘 山城国西陣住人埋忠明寿(花押) 慶長三年八月日他江不可渡之 京都国立博物館蔵・重要文化財 脇指 銘 山城國西陣住人埋忠明寿作六十一歳 元和四年五月十一日・重要文化財 短刀 銘 山城國西陣住人埋忠明寿 慶長十三年八月吉日 所持新蔵重代など

(押型:短刀 銘 山城国西陣住人埋忠明寿 重要刀剣図譜より転載)
(参考文献:名品刀絵図聚成 田野邉道宏著書・古刀新刀刀工作風事典 深江泰正著書・重要刀剣図譜より転載・引用・抜粋)




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