源清麿
江戸時代末期の新々刀は水心子一門と水心子の流れを汲んだものが多い中にあって、源清麿は信州から出て一派を形成している。水心子派は大別して相州伝、備前伝の両方をわがものとし、備前伝に重きを置いて鍛刀しているが、源清麿一門は相州伝に終始し、水心子派の相州伝とは違った独特な作風を見せている。
源清麿の狙いとするところは専ら志津であり、南北朝期の大磨り上げの姿に相州伝風に鎬幅を狭くして平肉がつかず、鋒はふくらが枯れて鋭い形となる。刀には長巻直しの形が多く、鋒が特に長く鋭い。脇指では菖蒲造りで物打あたりが張りごころ、張らないものもあって、薙刀直しの如き独特な形のものが一門には多く見られる。
また僅かに左文字写しもある。地がねは志津風に板目が流れて柾がかり、地景がよく入ってかねがよく、一門は、本三枚鍛といわれて刃縁が殊に柾に流れ、刃中長い金筋・砂流しが頻りに入る点に特色があり、または焼刃が切れて刃中に飛んだ、いわゆる島刃が多く見られるのが見所の一つである。また、砂流しや沸崩れ等で焼刃の上にまた焼刃がかぶさり、二重刃の如くなるものもあり、この特徴は一門中に見られるが、特に覇気に溢れたものは源清麿に多い。
主な作品:刀 銘 為窪田清音君 山浦環源清麿製 弘化丙午年八月日 重要美術品、大小 源清麿 嘉永元年八月日(一期一腰)など
(押形: 刀 銘 源清麿 嘉永二年二月日 重要刀剣図譜より転載)
(参考文献:名品刀絵図聚成 田野邉道宏著書・古刀新刀刀工作風事典 深江泰正著書・重要刀剣図譜より転載・引用・抜粋)