堀川国広

堀川国広

堀川国広は、もとは九州日向国伊東家に仕えた武士で、同家が歿落したのち諸国を遍歴しつつ鍛刀の技術を磨き、その間各地で作刀した。慶長四年以降は、京都一条堀川に定住し、広実、国次、国安、大隅掾正弘、和泉守国貞をはじめ、阿波守在吉、平安城弘幸、出羽大掾国路、越後守国儔、河内守国助など多くの優れた弟子を育て、慶長十九年に歿したといわれている。

彼の作風は概ね二様に大別され、堀川定住以前の作(天正打)には、末相州や末関風のものがみられ、定住後の作(慶長打)は、それまでのものと作風を異にして、相州上工に範をとったと思われるものが多い。堀川国広作風の特徴は、天正打ち刀(日州打ち)は寸法がつまり、身幅尋常かやや広め、中鋒、中鋒延びごころのものがあり、先反りが強くつく。

鎬造り、庵棟、寸法のつまったものと長寸のものとがある。短刀は平造り、庵棟、三つ棟もあり、寸延びて先反りつく。稀に小振りのものがあり、浅く反る。平造りの脇指は寸が一定せず、大きく寸延びたものがあり、寸法の割に身幅の狭いものもあり、概して先反り強くつく。鎬造りの脇指は稀である。

切刃造りもある。鍛えは、板目、杢交じり、肌立つ。中にはざんぐりとした堀川肌もあるが、総じて地沸・地景共に少なく、堀川打ちに比べて杢が目立つ。刃文は、互の目、小互の目、尖り刃、稀に小のたれ交じり、飛焼よく入り、皆焼風の刃もあって沸つき、堀川打ちに比べると匂口締りごころ、砂流しかかる。帽子は、乱れ込み先小丸、乱れて深く反り、棟焼かかる。彫物は、大黒天、毘沙門天が多い。

摩利支天、不動明王、真倶利伽羅などを彫る。茎は、先栗尻、鑢目勝手下がり、天正十七年紀から鑢目深くなり、同十八年から筋違となる。

銘文は多種にわたり、ほとんど長銘、二字銘は最初期作に見られて少ない。天正十八年以降「信濃守」を冠したものがある。細鏨で小銘、普通の大きさのもの、普通の鏨で普通の大きさのもの、稀に大振りのもの等、棟に寄せて切り、所持銘多く、年紀も少なくない。堀川打ちの特徴、刀は南北朝期の大太刀の大磨上げの姿につくり、身幅広く、先幅もあり、中鋒延びるもの、大鋒もあり、相違する点は重ねが厚くなることがある。

鎬造り、三ツ棟多く、庵棟もあり、ほとんどが中鋒延び、大鋒に近いものもある。短刀は平造り、冠落造りもあり、三ツ棟多く、庵棟もあり、寸延びて浅く反る。無反りは少ない。左文字写しは身幅狭く、重ね厚く、内反り、ふくらの乱れた小振なものとなる。脇指はほとんどが平造り、身幅広く、まま寸法に比べて身幅の狭いものがあり、それは先反りが強い。鎬造りは少なく、菖蒲造りが一口ある。

稀に剣があり、薙刀は一口が知られている。切刃造りは堀川物に多く見られる。鍛えは、板目、杢交じり、小板目つむもの、肌立ってざんぐりとし、地沸厚くつき、地景入る。まま湯走りのかかったものがある。刃文は、のたれに互の目交じり、比較的におとなしく、志津を思わせるもので上半が大きく乱れ、焼幅の広いもの、途中はおだやかで物打あたりが特に大きく乱れたものがある。

天正打ちに比べて沸強く匂口の深いところと締まったところがあり、刃が沈んでところとそうでないところと匂口にむらがある。総じて匂口が沈みごころ、稀に反対に冴えごころのものもある。区際を深く焼き込み、水影が立つ点に特色がある。

短刀には直刃が浅くのたれごころのものがよくあり、それは概して肌はつみ、区際の焼き込みのないものがあり、水影が大きく刀身の中ほどより上にまで及んでいる。帽子は、浅くのたれるもの、のたれごころのもの、先丸く反り、掃きかけかかる。彫物は、棒樋、二筋樋、刀樋、腰樋、護摩箸などを彫る。茎は、先栗尻、鑢目大筋違、大振りの二字銘が比較的に多く、これは刀は鎬筋を中心として、脇指や短刀は茎中央に切る。また「藤原国広」「藤原国広造」「信濃守国広」のほか、長銘に種々の銘文がある。

主な作品:太刀 銘 日州古屋之住国広山伏之時造之 天正十二年二月彼岸 太刀主日向国住飯田新七良藤原祐安(山伏国広) 重要文化財、刀 銘 九州日向住国広作 天正十八年庚刁弐月吉日平顕長(山姥切) 重要文化財、脇指 銘 日州住信濃守國廣作 於野州足利学校打之 天正十八年八月日 重要美術品 公益財団法人足利市民文化財団所蔵

(押形: 脇指 銘 藤原国広 在京時打之 天正十九年八月日 重要美術品 名品刀絵図聚成 田野邉道宏著書より転載)
(参考文献:名品刀絵図聚成 田野邉道宏著書・古刀新刀刀工作風事典 深江泰正著書・重要刀剣図譜・堀川国広とその一門展図録より転載・引用・抜粋)




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