山形県における刀剣・日本刀の歴史・特徴
目次
山形県エリアの名刀や有名武将の紹介
東北には数多く有名な武将が存在していますが、山形の武将といえば戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した出羽国の大名で最上氏第11代当主である最上義光が有名です。
独眼竜で有名な伊達政宗の伯父にあたる人物で、関ヶ原の戦いで上杉景勝と戦いました。幼い頃から大柄で強くたくましい印象を与えた人物で内政にもたけており、武力も知力も高い人物ですから、当然東北随一の名将といわれています。
鮭が好きだったから庄内地方を手に入れたかったなどというお茶目な逸話も残っている人物ですが、実際は海を抑えて水運ルートを確保したかったようです。
山形の名刀としては月山などが有名です。月山は鎌倉時代から室町時代に名をはせた刀工とその一派の事で、月山特有の綾杉肌を持つ刀です。
他にも山形には名刀が様々あり、なんと言っても幕末刀剣界の巨匠 水心子正秀の出身地であること、日本刀の原点回帰を論じた「復古刀論」を推奨し、大慶直胤や細川正義ら多くの優秀な弟子を育て上げました。
山形県鶴岡市にある致道博物館には数多くの名刀が所蔵されている。国指定重要文化財 短刀 銘 吉光 “名物信濃藤四郎吉光”など有名です。
山形県の有名刀匠の紹介
水心子正秀は、山形県南陽市出身の刀鍛冶です。彼は江戸時代後期に山形藩秋元家の抱え鍛冶として活躍し、実際に刀を作る事を手掛けるだけではなく古い時代の刀等の技術を研究した学者でもあります。多くの後輩刀鍛冶を育てて、衰退していく刀剣の世界を再び盛り上げる事に成功した人物として有名です。
大慶直胤は、山形城下鍛冶町出身で、水心子正秀と同じく江戸時代後期に活躍しました。水心子正秀に教えをうけて、また彼と同じように館林藩秋元家の抱え鍛冶にまでなりました。
彼もまた水心子正秀と並び、江戸三作と呼ばれる名工の一人です。斎藤清人は、庄内温海出身の刀鍛冶で幕末に活躍しました。のちに割腹自殺をした名工の山浦清麿に学び、彼の遺作を完成させたことでも有名で、幕末の名工と知られるようになりました。
上林恒平は人間国宝の宮入昭平に教えをうけ、高松宮賞などの多数の賞を受賞しています。高松宮賞は2年連続で受賞しており、特賞も7回受賞するなどの偉業を達成しました。高い技量の持ち主で、伝統工芸技術の第一人者であり山形のみならず現代の日本を代表するといっても過言ではない刀匠といわれています。
山形県で日本刀売却したお客様の声
山形県山形市 N様
大掃除のために放置していた倉庫の整理を行っていたところ、日本刀を発見しました。亡くなった父がコレクションのために購入したもので、形見として置いておくことも考えたのですが、ご家族は価値を知らないので、それならば価値の分かる人の手にわたってほしいと思い査定を依頼することにしました。
価値を知らないので買い叩かれることを心配していたのですが、査定の結果、価値が分からない自分にもきちんと説明をしてくれ、適正価格で買い取りしていただけたことが嬉しかったです。
山形県鶴岡市 K様
コレクションしている日本刀が増えてきたので、整理しようと思い、実店舗では信頼できるお店が見つからなかったため、こちらを利用することに決めました。
とても貴重な価値のある日本刀だったので、買い叩かれるような店であればキャンセルしようと考えていたのですが、納得の査定額だったのでそのまま売却手続きを行ってもらいました。
安心して売却することができたので、今後もコレクションの整理を行う際はこちらのサービスを利用したいと思います。
山形県酒田市 S様
祖父から譲り受けた日本刀の査定をお願いしようと思ったのですが、特別日本刀に対する知識があるわけでもないそうで、どうするべきか迷いましたが売却を決めました。
形見として眺めていると、部分的に錆が出ていることに気づき、調べてみるとこれはどんどん広がることが分かっので、錆びている状態でも買い取ってもらうことができる場所で査定を依頼しようと思い刀剣買取王に依頼しました。
本当に錆が出ていても買い取ってもらえるのだろうかという不安だったのですが、しっかりと売却することができて安心しました。
山形県米沢市 G様
父親のコレクションである日本刀が倉庫から出てきたのですが錆びや傷が目立つものばかりでした。ご家族と相談したところ、そのまま保管しておきたい人はおらず、処分するしかないと考えました。
調べてみると錆びや傷があっても買い取ってもらえることが分かり査定を依頼しました。
値段はほぼつかないだろうと思っていたのですが、予想以上に高い査定額で驚きました。
親戚の家にも状態が悪い日本刀があるので今後はそちらの査定もお願いしたいと思います。