茨城県における刀剣・日本刀の歴史・特徴
目次
茨城県エリアの名刀や有名武将の紹介
茨城県エリアで最も良く知られた武将といえば佐竹義重です。天文16年(1547年)に生まれた人物で、今の茨城県を領土としている常陸源氏の嫡流である佐竹氏の第18代当主でした。
7人もの敵を一瞬で倒したという言い伝えがあり、「坂東太郎」や「鬼義重」との異名で呼ばれることもある人物です。特に北条氏や伊達政宗との戦いで知られています。佐竹義重は上杉輝虎から「備前三郎国宗」という名刀を贈られていますが、長男の義宣にこれを譲りました。義宣は長さが長かったため加工してしまったという話が伝わっています。
佐竹義重の愛刀は「八文字長義」という名刀です。南北朝時代に鍛えられたもので、北条氏との戦いでは騎馬武者を頭から斬ったところ、兜ごと真っ二つになったという伝説があります。現存しているものは2尺5寸8分ほどの刃長ですが、作者の銘の部分が無くなるほど切り詰められているので、元々はもっと長かったと考えられています。この刀は備前長船の刀工「長義」によって造られました。
茨城県の有名刀匠の紹介
常盤国水戸藩は9代藩主徳川斉昭が自ら作刀するなど日本刀に理解があったため。優秀な刀匠たちが誕生しました。茨城県の有名刀匠には市毛徳隣が挙げられます。
幕末において水戸藩で活躍した人物です。市毛徳鄰が水戸藩の刀工になったのは文化6年(1809年)のことでした。天保元年(1830年)には京都の御家人の門に入ってからは近江介を名乗っています。
また茨城県の良く知られた刀匠には、直江助政も挙げられるでしょう。大阪の名工であった尾崎助隆に学んでいるほか、出羽国(現在の山形県)出身で江戸で刀剣作りをしていた水心子正秀にも師事していたことのある人物です。
勝村徳勝も茨城県で有名な1人です。文化9年(1809年)に水戸藩士の子として生まれた人物で、文久元年(1861年)からは江戸の水戸藩邸で作刀を続けたという経歴があります。
これらは幕末の時代に活躍した有名刀匠ですが、明治時代には高野金太郎という勝村一派の人物がいることで有名です。高野金太郎は常州住正兼ともいい、明治33年(1900年)生まれで勝村徳勝に師事していました。ほかにも昭和に入ってからは岡島茂刀や岡島福太郎という人物が知られています。
茨城県で日本刀売却したお客様の声
茨城県水戸市 H様
祖父母宅の物置を整理していたところ、大量の日本刀が出てきて処理に困っていました。必要とする人がいないので処分方法を探していましたが、もしかすると想像以上に価値が高いものがあるかもしれないと感じて依頼することに決めました。かなりの数がありましたが、かなりスピーディーに鑑定作業をしていただきました。贋作もあったようですが、それなりの価値がある日本刀も混じっていたので、予想していたよりもかなり高い買取になったので嬉しかったです。
茨城県土浦市 K様
父から日本刀を譲り受けていたものの、自分が亡くなった後に渡す相手がいないですし、子供が女の子なので日本刀を譲っても喜んでもらえなそうなので、ほしいと感じている人の手元に届くことを願って売却することに決めました。
鑑定してもらったところ、価値のある本物の日本刀であることが分かり、高額買取となりました。査定額きくと、それほどまで価値があるものだとは知らなかったので、驚きました。
自分では価値が分からなかったけれど、しっかりと対応してもらうことができたので利用して良かったです。
茨城県つくば市 S様
コレクションしていて手放したくなかったけれど、引っ越しに伴ってコレクションを置くスペースが減ることから売却を決めました。
まずは、思い入れのあるものを除外し、比較的手放すことに抵抗がない日本刀数点査定をお願いしたところ、贋作はなかったですし、錆などもないものだったので高価買取をしていただけました。
二束三文にしかならないというようなことがなく、とても安心しました。
茨城県鹿島市 G様
祖父から父親に日本刀が受け継がれたのですが、父親が扱いに困っていたようなので、売却することにしました。とても立派で価値のある日本刀であったのですが、家族の中に日本刀を保有しておきたいと思う人がいなかったので、現金化することに決定しました。しかも、うっすらと錆が出ていてこのままだと状態が悪くなると思い、早急な買取を希望していました。
結果、かなり価値のあるものだったようで、錆のせいでほとんど値段がつかないと思っていたけど、かなり高値で売れたので良かったです。