群馬県における刀剣・日本刀の歴史・特徴
群馬県エリアの刀剣・武将のご紹介
群馬県はかつて上野国とも呼ばれ、鎌倉時代には北条氏滅亡に貢献した新田氏を始め、戦国時代には剣聖とも呼ばれた上泉信綱公、それが仕えた長野家も活躍したエリアです。
戦国期には上杉・北条・武田などの武将がこの地を舞台に合戦を幾度となく行っていることから、それだけ戦いに利用する刀を量産されてきた歴史的な経緯も存在します。
数多くの武将などがこのエリアで活躍をしていたほどなので、武の国であったほどなので、数多くの刀剣などが現存するのではないかとされます。
しかし著名な武将が活躍した時代が、室町時代末期から安土桃山時代にかけてとなりますので、日本刀の種類に関しては末古刀が多いのが特徴的です。末古刀の場合は、400年の歴史しかないので古刀と比較すると見劣りし、刀の価値もその分、劣るとされます。
しかしながら中には、その由来からも日本刀の末古刀であっても非常に高い価値が存在するものもあります。他にも江戸時代後期から作られたとされるし新々刀も見られますが、鎌倉時代以前の古刀を発見することはレアとされています。
それでも信重・憲重などの古刀も見ることも可能ですが、近代にいたっては軍刀の一種の群水刀の兼宗が著名であります。群馬県の高崎市辺りには明治期に刀匠が居たことから、全国的に有名なものとなっています。
もっとも群馬県東吾妻町には、大宮巖鼓神社が存在し、そこの社宝には蕨手刀があり、県の指定重要文化財にも認定されております。この蕨手刀が製作された時代は奈良時代後半から平安時代初期の頃とされており、かなり古くから伝わる日本刀です。
蕨手刀と言われる所以に関しては、刀の柄頭の部分がワラビのように曲がった状態になっていることから、その名が付いたとされます。実際には東大寺の正倉院でも同じは蕨手刀の形状をした日本刀を見ることができるので、かなり歴史的にも古いと推測されております。
この蕨手刀は全長が53.2cmで重さが600gとなっており、群馬県内でも一番古い日本刀の一つであると言われております。上野国邑楽郡(現在群馬県館林市)にあった館林藩秋元家には数多くの名刀が所蔵されていた。なかでも人気オンラインゲーム刀剣乱舞のキャラクターになっている国指定重要文化財 刀 銘 左衛門尉藤原国吉 (号 鳴狐(なききつね))は有名である。
群馬県の刀剣買取のお客様の声
群馬県前橋市 R様
日本刀に興味があるのは亡くなった祖父だけで、他の家族は知識や興味がなかったため、そのまま蔵に保管しておくことは勿体ないので、査定をお願いしました。手入れ方法を知らないので放置しておくと劣化する恐れがあると感じ、早急に依頼しました。かなり古い時代に作られたものであったためか、かなりの高額査定となりました。価値を理解していなかったのでまさかこれほど高い値がつくとは思っていなく、大変嬉しかったです。
群馬県高崎市 O様
骨董品が好きで集めていたのですが、引っ越しを行うにあたってコレクション整理が必要になったので、持っているものを手放そうと考えました。骨董市や刀剣商などの様々な場所で購入した日本刀でしたが、本物か贋作かどうかは分からない状態でしたが、査定をお願いしたところ、骨董市で購入したものの中には贋作もありましたが、刀剣商で購入したものは本物だったようで、満足いく査定金額になりました。
群馬県太田市 J
祖父の代より前から受け継がれていた日本刀であり、途中からは誰も手入れを行っておらず、すっかり状態が悪くなっていました。これから手入れをしておこうとは思ず、売却することにしました。錆があることで売却できないケースもあると思っていましたが、公式ホームページの錆があっても買取可能の文章を見てお願いいたしました。その結果、錆はありましたが、歴史的な価値のあるものだったので、無名のものよりは高い査定額がつきました。錆があるのにこれほどの値段になるとは思わなかったので、刀剣買取王さんにお願いして本当に良かったです。
群馬県桐生市 C
私は、昔から日本刀が好きでコレクションをしていたのですが、結婚の際、妻にコレクションが多すぎるので整理してほしいと頼まれてしまいました。そのまま廃棄することは嫌だったので、査定をすることにしました。査定の結果、なかには非常に価値のある日本刀もあったで満足できる値段でした。過去に処分しようと考えたときに近所のお店に持ち込んだのですが、その際はあまりにも査定額が安かったので売却を諦めてしまいました。今回は期待以上の値段だったので大満足でした。