埋忠明寿
埋忠明寿 埋忠明寿は通称を彦次郎、のち入道して鶴峯明寿という。初銘を亀吉、宗吉といい、年紀がないが、一口現存する。寛文八年五月十八日没。埋忠家は天正頃に興って、元来は鐔、ハバキ、刀剣の磨上げ、象嵌等々に係る刀剣工房である
左文字(大左)
左文字(大左) 左文字は実阿の子と伝えられ、同派の今までの保守的な大和伝から脱して九州に相州伝をもたらしている。正宗十哲の一人とされており、地刃が極めて明るく冴えざえとしているところに左文字の特色がある。 左文字作風の特
青江
青江 青江派は時代にとって古青江派・中青江派・末青江派と分類される。古青江派は、平安時代末期、守次を事実上の祖として貞次、恒次、次家、(以上三行は後鳥羽院御番鍛冶)、為次、康次、包次、次忠、守利、助依、俊次、助次、助次、
三条宗近
三条宗近 三条宗近は京物の最古の平安時代永延頃の刀工とされる。京三条に在住したと伝えられる宗近は古来より謡曲や長唄などでもよく知られている。その確信出来る遺例は僅少で「三条」銘の太刀 銘 三条(名物 三日月宗近) 国宝
三条吉家
三条吉家 三条吉家は三条宗近の子と言われている。古来優しい姿を呈し小模様の丁子に小互の目・小乱れ交じりの刃文を焼き地刃の沸づきが厚く映りの鮮明でない手のもの三条、強い姿に匂勝ちで丁子の華やかな乱れを焼いて地映りの鮮明な出
五条兼永・国永
五条兼永・国永 五条兼永 平安時代末期 五条兼永は三条宗近の弟子在国の子という、五条兼永の代表作は、重要文化財の太刀 銘 兼永 財団法人 日本美術刀剣保存協会蔵が挙げられる。生ぶ茎・目釘孔一個で二字在銘の完存の作で、刃長
相州貞宗
相州貞宗 相州貞宗は正宗の門人で後に養子になったと伝え、作刀時期は鎌倉時代最末期から南北朝前期に及び、作風は師風を最もよく受け継いでいるが、比しては穏やかとなり、一方姿形は時代性を反映し大振りとなるところに師との相違が見
相州広光
相州広光 相州秋広は相州広光と並んで南北朝期の相州鍛冶を代表する刀工であり、この期に盛行する皆焼の刃文は、両者の最も得意としたところである。この期に盛行する皆焼の刃文は、両者の最も得意としたところである。 相州広光作風の
相州秋広
相州秋広 相州秋広は相州広光と並んで南北朝期の相州鍛冶を代表する刀工であり、この期に盛行する皆焼の刃文は、両者の最も得意としたところである。 秋広の現存する年紀作の上限は延文二年で、下限は明徳三年に至っている。銘字は「相
源清麿
源清麿 江戸時代末期の新々刀は水心子一門と水心子の流れを汲んだものが多い中にあって、源清麿は信州から出て一派を形成している。水心子派は大別して相州伝、備前伝の両方をわがものとし、備前伝に重きを置いて鍛刀しているが、源清麿