青江

青江

青江派は時代にとって古青江派・中青江派・末青江派と分類される。古青江派は、平安時代末期、守次を事実上の祖として貞次、恒次、次家、(以上三行は後鳥羽院御番鍛冶)、為次、康次、包次、次忠、守利、助依、俊次、助次、助次、延次、行次等々がおり、貞次、守次、恒次、助次には同銘がいて、前の二者は南北朝期に及んでいる。

古青江派作風の特徴は、形状が元幅に比べて先幅がほぼ半分くらいに狭まり、丁度人間が両足を開いて立ったようになることからこれを踏ん張りがあるという。鎬造り、庵棟、腰反り高く先伏ごころのものと、反りが非常に高く先でも反ったものがあり、小鋒をまま見る。

鍛えは、板目、杢交じり、杢肌目立ち、肌立ち、ちりちりとしていわゆる縮緬肌となり、地斑映り、つまり澄肌があり、鉄色が黒い。貞次には小板目のよくつんだものがある。地沸つき、地景の入ったものがある。刃文は、直刃調に互の目調の小乱れ、中には丁子、互の目等交じり、総じて部分的に逆がかっかた刃交じり、沸つき、金筋・砂流しかかるものがあり、匂口は沈みごころ、古備前に似るが、地がねと匂口の一段と沈みごころの点が相違する。なお、次忠にはまま焼落としを見る。

帽子は、直ぐに先小丸、浅くのたれごころに先小丸、僅かに掃きかけかかる。彫物は、稀に棒樋。茎は、少し反りがつき、先浅い栗尻、鑢目大筋違、いずれも佩裏目釘孔下に銘を切り、包次には一口太刀銘がある。貞次、為次はやや細鏨の小銘と尋常な銘があり、次家は細鏨、三者は棟寄りに、他は中央に太鏨、大振りに逆鏨で切る。中青江派、古青江と中青江の時代区別が明瞭でない。鎌倉末期の元亨以前の年紀のあるものが皆無で、それらの刀工の時代区分が判然としないものもある。

識者間では古青江、中青江、末青江の時代分けがまちまちであったり、古青江(鎌倉末期までを含む)と末青江だけの場合もある。備前ほどに作風の変遷がないにしても、鎌倉末期から南北朝のごく初めにかけては古青江とは違った一つの作風を呈していることにより、この間のものを「中青江」と呼んで時代分けすることが妥当だと思う。

中青江の作風は古青江同様沸出来であり、伝統的な縮緬肌のものがあるが、総じて地がねは小板目がよくつみ、直刃に逆乱れを交じえ、帽子は直ぐに丸く返り、一見、来国光にまぎれ、雲類風にもみえるものがある。太刀のほか、稀有ながら短刀がある。

この期の刀工では、助次、左兵衛門尉恒次、右兵衛門尉吉次、左兵衛門尉重次などがいる。末青江の作風は大別して逆丁子と匂口の締まった直刃のものがあり、直刃は真っ直ぐなものは稀で、浅くのたれごころ、逆がっかた刃の交じるものである。いずれも両方の刃を焼くため個銘を極めるのはむずかしいが、逆丁子は次直に最も多く、上手で、刃文が揃いごころで、他工は変化がある。同期の署名工は次直、次吉、直次、守次等で、ほかに貞次、家次、春次、末次等がいる。

主な作品:脇指 無銘 金象嵌銘 羽柴五郎左衛門尉(名物 にっかり青江)重要美術品 丸亀市立資料館所蔵

(押形:国宝 太刀 銘 貞次・重要文化財 太刀 銘 備中(以下切)(伝貞次)名品刀絵図聚成 田野邉道宏著書より転載)
(参考文献:名品刀絵図聚成 田野邉道宏著書・古刀新刀刀工作風事典 深江泰正著書・重要刀剣図譜より転載・引用・抜粋)




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